● 季節を敏感に感じる心
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
秋が来たと目にははっきりと見えないが、風の音にその訪れを
気づかされたことだ。
木の間より漏りくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり
木の間から漏れてくる月の光りを観ると、また物思いにふける
秋が来たなあと思われる。
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
まだ冬でありながら空から花が散ってくるのは、
雲の向こうはもう春なのであろうか。
1年間を24等分した二十四節季は約15日、
半月毎に季節を感じるようになっている。
しかし、それをまた三等分した七十二候は
5日毎に季節を細分化している。
余程敏感に仙人のような暮らしをしていないと季節の変化を感じる事は
まず無理だ。
師匠は季節を感じる心は歳時記の外にあり、
(その移り変わりの瞬間をいち早く察知するのが真の詩人であろう)と、提言している。人間が科学を駆使するにつれて、衣食住に季節感が薄れつつある。
この前の腕捲りをしたまま塵出しに行き、外の冷気を肌に感じて
初冬を実感・体感する。これが大切なんだ。
花八ツ手捲くりし腕に塵袋 藻川亭河童
俳句をしない生活ではこうは行かない。
何も感じない。
詩人としての暮らしをすれば、心理的には富豪になれるだろう。 師匠の階段が如何なる物かはこの際関係は無い。
スパイラルなまるで立体的な色相図鑑のようなものが見えてくる。 どこからがどこまでとは線は引けないが、移植鏝か小型スコップで掬い取るような感覚かもしれないが、ここらへんは俳句感に関わる所みたいだから駆け出しには断定できない。 師匠から俳人は季節の変化に敏感でなければならないと言われています。 何故かしら日本列島は五月晴れをパスして、梅雨に入ったみたい。 藻川亭河童の俳句人生軌道に乗りつつあります。
駐輪場の花壇は春浪漫を過ぎていよいよ収束かな。
今年はジャーマンアイリスに始まり、皆が感動した神仏の造形か注目を集めたのがラッセル・ルピナス。まるで五重塔の相輪のような神仏の造られた花。
シラー、姫著莪の優美さ。金魚草のあどけなさ。とりがい酢味噌を連想するおだまき。 唸るばかりの釣鐘草。シャクヤク。素晴らしいの一言。
匂いの無いのが不思議な優美さ。今は、石竹・撫子の仲間。 もう直ぐ、虎の尾の出番。
いつまでも環境美化に勤めたいものです。
草花の写真に俳句を添えて掲示しています。
メルマガが53号になった。
くだらない人生の藻川亭河童には偉大な事だ |
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