自己紹介 スヰートピー己が英知にくらぶれば 藻川亭河童 |
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2002年頃のHPを改変しました。
(蟹座)A型 (60歳) 鹿児島県**市出身・・2002,6 田舎は無くなりました。
連れ合い・・・(山羊座)O型 (58歳)
宮崎県**市出身・・お兄さんはじめ親族の団結力は最高。
昭和43年春、吉日、大学正門前にて、運命的な出会い。
爾来、40年間、風雪を乗り越えて・・・
子どもを4人創りました。(私は仕込んだだけだが・・・)
2008年が皆様にとりまして、 素晴らしい年で ありますように! 1000年(長保2)…道長の娘・彰子が一条天皇の后になる。 (枕草子・源氏物語の世界…藤原一族権力独占) 平安32代の天皇のうち24人(75%)が、藤原一族の女を母とする。 10歳以下の即位が16人。在位5年以下が9人。 摂政・関白で国の全権を掌握。この世をわが世と思うはずだ。国民は、縄文時代の竪穴式住居に住んでいた。 それから1000年。女に手を出した廉(かど)で、国司(知事)が罷免・下野・追放される時代がきた。 民主主義を獲得するまでの代償は大きいですね。何せ、まだ、この国は、女を(失礼!)女性を 人格者として法律で認めてまだ60年ですから。後進国で、下の下。 月光仮面じゃないけど年貢は不平等に文句も言わさず高利貸し並にぶんだくる。 この1000年で根本的な事は何も変わっていないと観るか、否か、史観の分かれるところである。 3000年をあの世でつれと二人で覗こうと 2002.1.1 【寝物語その1】
● 今夜の一句これでどうや? けふからが真実の夫婦ぞ寒の入り ○ 昨日までは何だったの? ● 勿論本妻じゃないか! ○ じゃ、今日からは? ● 夫婦や言うとるやろ! ○ 何か、こだま・ひびきの漫才やね! ● そんなんどっちゃでもええ!こっちゃ!
それにしても、垂れて来たなあ・・・ ○ あんたが一番吸ったでしょう・・・ けふからが真実の夫婦ぞ寒の入り 私たちが初めて出会ったのは、学部の入り口の守衛さんのおられる?
反対側は昔は桑畑でしたが、その前でした。 以来30数年本当に、漫才みたいな月日が流れました。 私の根城は実にお墓とか、 斎場に縁が在りまして、 実家と現在を含めると都合7回も関係があるのですが、 そのスタートが唐湊の坂を上り切った、墓地の前でした。 二人でよく唐湊温泉に行きましたが、 坂道で帰りにはもう汗をかいており、 何のための風呂かわからないと、よくぼやいておりました。 ボヤキ漫才の原点でしょうか。 二人の風呂好きは病的なほどで、 家族湯で、露天とくれば、 休みを利用して良く出かけています。 唐湊の商店街で、風呂帰りに二人分の材料を買い、 ままごとみたいな生活を していました。 今から考えると、本当に『神田川の世界』でした。 親に似た亀ん子と言いますが、 教えた訳でも 無いのに息子も同じ道を辿り、 嫁を連れて、 都庁にこの春から行こうとしております。 (注)嫁も都立の病院に秋に合格!この二人は完全自立とみる。 宮仕えへの風当たりはきついが江戸に城を構えるだろう。 血は争えないねとミツさんは、この頃よくボヤキます。 私は、その度に深い溜め息をかみ殺すのに苦労します。 心はイツモ神田川その1・・・プロローグでした。 2002/01/01 【寝物語その2】 心はイツモ神田川・・・その2 貧しければ心まで卑屈になると人は言う。 本当ですか? 当時でも、リッチな学生はいました。 学食の素うどんがバス代と同じ値段の頃のお話です。 20円をケチるお話です。聴いて下さい。 自家用車で送り迎えされていた彼女を見ていた僕は言いようの無いジェラシーを毎日感じていた。 同じ学生じゃないか! いつか、必ず MITUさんにも陽の当たる暮らしをさせてやる。 滅茶苦茶そう思いましたね。 MITUさんは、語ります。 のりはあの頃、背伸びをしすぎたのよ。・・・悔しいけどそうです。 私たちには何も無かったのよ!考えると涙が出るわ・・・本当に、貧しい二人でした。 奨学金が8000円の時代です。 二人合わせて16000円。貴重な、お金でした。お世話に成りました。 現職に着けば、返還を免除されるのですが、無頓着な私は手続きをずぼらしましたので、 彼女の高校の分まで含めて、償還し終わりました。 MITUさんは、この頃、良く言います。親って何だろう!と。 貧血して倒れるような生活をして、卒業証書だけを喜ぶ親。 私たちの唯一の誇り、それは、苦学して卒業出来たことです。 騎射場に【かかし 】という食堂があったのですが、今でもあるでしょうか? 40年を越えた今でも覚えているぐらいですので、余程、インパクトが、あったのでしょう。 奨学金が入ったら、二人して、駆け込みました。 MITUさんは、かかし名物の薄い薄い味噌だれの《とんかつ定食 》。 私は、今では、見向きもしない《うなどん 》でした。 MITUさんがいつも言います。 のり、あれほど、うなぎに 執着していたのに、人間って不思議ね! それでも、私たちは、卒論の優をめざして頑張ったんですよ。 そのとき、水に流した子のために、休みの度に、お遍路しているこの頃です。 罪の意識にさいなまされています。 風呂に入って、洗いぬぐっても、この垢は落ちません。 kappaの原点です。次回は、天文館!2002/01/01 【寝物語その3】 心はイツモ神田川・・・その3 ♪♪・・・雨が降る降る天文館で、けんちゃんと由紀ちゃんに初めて出会ったのは、教養から専門に上がる頃だった。 日給800円は魅力だった。 確たる信念があれば両立もできようが、山猿には何もかも珍しく、ネオンの魔力に溺れるのに時間はかからなかった。 スタンドバー・チェリーにゴミ出しもそこそこに駆け込むのが23:30。 何の為のバイトかもう解らなくなり、帰り道も正反対の桟橋の方に由紀とけんについて行く毎晩でした。 今も足腰に自信が在るのはその頃良く歩いたからでしょう。 若いと言う事は恐ろしい。 MITUさんと歩いた吉野、磯を何年か前、娘を連れて観光しましたが、 タクシー代に呆れるよりも、改めてよく歩いたこの足を誉めてやりたいぐらいでした。 さて、天文館の暮らしですが、貧乏学生が生き抜いて行くには、手練手管が必要です。 返事ははっきり、悪口は言わない(口数は少なく)、 何時も笑顔を絶やさない、ある程度のよいしょを 心得る、腰はいつも軽く・・・・ そうすれば、女性のみなさん《ホステスさん》からシグナルのマッチに灯が入ります。 『パパ!こちら*大の貧乏学生さん!真面目な子じゃっとよ・・』 後は押して知るべし、彼女に帰りがけに全額渡せば後で必ず返ってくるのであります。 一年に一回全店挙げて観光バスでの慰安旅行があります。 厨房のおじちゃん・おばちゃん・受け付けの真面目なお兄ちゃん・おねえちゃん・バンドのみなさん・自称歌手の方々・フロアーの役付きの猛者・ 経営者そしてわれわれいちばん下のボーイです。 かねてを真面目にしていれば、このとき良い目にあいます。 御姐さんについておればいいだけです。 けんちゃんはお座敷のショー(いわゆる被りつきヌードショー)に狂ってしまって、 その夜は大変だったことを思い出します。(勿論、私も超アップの世界を堪能した) 私は、ほとんど 浦島太郎の世界でした。 夜の世界の主賓はおねえさんです。 みんな、それぞれが重荷を背負って生きています。 恍惚と自虐・絶頂と奈落・信頼と裏切り 聴きたくも無い言葉ですが、現実です。 一度、朝方の繁華街を散歩されることをお勧め致します。 つわものどもの夢の跡!を感じることでしょう。 可愛かった由紀も、チンピラ崩れのけんも、お互いにそれ相応に歳を重ねていることだろう。 天文館に寝起きしているうち、月日は過ぎ去る。 MITUさんの必死の捜しが無ければ、私はどうなっていたのだろう。 学科の指導教官に平身低頭で挨拶に行きました。 **先生ゴメンナサイ!MITUさんごめんね!次回は 学問です。 笑わないで! これでも私は **学科の卒業生です。 ★★先生に学んだカント哲学で今の私があります。 呑ん兵衛の戯言・・・・聞いてよね! 酔っ払った勢いで・・・・・ 哲学の無い日本経済をご覧ください。 赤ちゃんからお年寄りまで含めて数百万円の借財に心を痛めず、 厚顔無恥な輩が我々の年貢・血税を貪り食っているこの現実。 誰が俺を笑えようか。 君は1杯500円ほどのコーヒーを当たり前と飲んでないよなあ! 500円稼ぐにどのくらい疲れるか? 最早、この国の国家予算編成に誰も期待することはできない。? 一部の財閥の輩に我が血税は吸い取られるのである。 飲んだ暮れの結末か?・・・・賢い救世軍はいないのか?・・・・・ NO! NO!NO!NO!NO!NO!NO!NO! NO! いるんだなあ 、これが。 誰もが見放しても、確実に救済の具体的な方法で一家心中を免れた家族がどのくらいあるのだろう? まさしく、この世の月光仮面である。 貧乏人の味方ゆえ、権力者がもっとも恐れる月光仮面・・・・!!!! その人の名は・・・ まともに飯を食えている君たちの前には現れるかな? 最も、国家予算の大部分を私物化している輩は1%にも満たないのだから・・・そいつらにとっては最大の敵だろう。 だから、残り99.9999%の人間は皆、だちこうだ! いがみ合う必然性がないのである。 権力に阿る輩を除いては! 君は知っていることだろう。 平安の貴族は、庶民が塩と玄米と菜汁で過酷な労働に耐えて、 縄文式の竪穴住居に雑魚寝している時、現代の時価で数百億の所得があったことを。 勿論、中産階級の民や小市民は時間に縛られて安月給で扱き使われていたのさ。 銅鑼の音に合わせてサラリーマンの貴族が朱雀大路を大極殿に向かって出勤する様なんざたいして今と違いはねえよ! 展望も無い諦めの日々を過ごして・・・・ この世を我が世と思う感覚に無頓着になってはいけない・・ 呑ん兵衛は思う。 昔は、アカと言うレッテルを貼って目くらましをしたぐらいだから・・・せこいよな! 人の年貢を横取りしといて・・・・ 確かドイツの神父さんだったかな? 権力者がリベラルまで弾圧の手を伸ばしたときに、民は初めて自由の有り難さを知ると・・・・ 勿論、それまでは俺には関係が無いという諦めに支配されて・・・・ ほとんどの呑ん兵衛は救ってもらえると我輩は思う・・・・・ お金に余裕が在れば、そして問題意識が途切れなければ、後輩の諸君学問して下さい。 つくづく私はそう思います。次回は、倫理学特殊講義!2002/01/01 【寝物語その4】 心はイツモ神田川・・・その4 倫理学特殊講義1 MITUさんに連れ戻された頃には、専門の空きは何処も無かった(注:ここでは教科の意味で)、 その他に《教育と心理》がありましたが、無知な私には 問題意識はゼロでした。 解りもしないくせにやれ中也、公房、士郎などと、 植物専攻のMITUさんの標本採集に付き合う度に吠えていた。 今から考えると恥ずかしい限りである。 最低限の履修単位を揃えると、誰も参加しない授業 ばかり、後ろに座って聴いた。 その中でも、**先生の倫理特講は、私に強烈なインパクトを下さった。 『其処の君!疲れた顔してるけど、盗人が縁側の下 に忍び込んでひたすら待つのを忍耐と言うかな?』 此方の返事を予測しての二の矢が来ます。 ひたすら 耐え忍ぶ事に変わりは無い! 盗人並みの忍耐も出来ない輩が現にいるじゃないか! 先生の講義が何処で役に立ったかは今でもわからないが、 先生に示唆を戴いた純潔の用語はその後全国大会の研究発表で花開くことに成ります。 文部省指定の研究発表で、就職して10年後でした。 それにしても腹を空かせていたなあ! 卒論 (純潔教育論) の資料集めで、家庭科の**まさ先生の処に行くのはとても楽しかった。 周りは全部女性です。 お菓子は出てくるし、質問は聞けるし、言うこと無し。 鼻の下きっと伸ばしていたことだろう。 でも 周りは、良くみていたんだね。
女子短大との合コンでも誰も私には近寄ってこなかった。
卒業生が指導教官のお宅に卒業式の日に呼ばれるのですが、**先生から、きつくお叱りを受けました。 短大の女の子の気持ちを御前はどう考えるのだと! でも、わたしにはMITUさん以外は見えなかったのだ! ******************************* はらから その1 ******************************* 平成七年 三月 二十八日 寂 法名 釋武性 俗名 瀬戸西** 享年七十七才 昭和51年 二月 二十二日 往生 法名 釋尼妙願信女 俗名 ** ハギノ 享年四十八才 皆さんは親父さんのことをどれほど理解なさっていらっしゃいますか。 小生は、この頃,軍国主義の親爺がとても気になりだしました。 もう、両親の骨を拾い、疲れる法事を四半世紀もこなして来ていますから、恐れるものは何もありません。 僕も、身体にがたが来だし、そんなに長生きは出来ないでしょう。 親爺・瀬戸西**の事は、同世代の叔父さんに確認しないと、 正確な事はあまり僕自身もわからないのです。 記録に留めておきたいと思いながら僕自身がこの歳になりました。 しかし、母ハギノと父**に慈しまれて育った事は事実であろう。 姓名が違うことを除いては・・・ ![]() ![]() 右は、鴨池動物園のキリン富士子さんの前で、左は、母と2才。裏打ちは瀬戸西**? 墓場まで持っていくことが多すぎる。 母ハギノは学校を出ていません。母が書いた文字を僕は見ていません。 高校の頃から、必要な書類は僕が書いていましたから・・・ 2才違いの弟を連れて、愛知県の大府の紡績で働いたり、 所謂、大家の飯炊きが青春だったと聞いています。 ハギノさんが笑った写真があったかな?と、先日妹が言う。 確かに、神様は人間を不幸のままには導かれない。 人間!一生のうち一度は楽しい事があるといいます。 亡くなる僅か2年前の頃かな? お袋の生涯唯一の栄華は・・・ 親爺も国鉄を退職し、嘱託として新幹線工事に携わっていた頃だ。 10才違いの弟は、甘えるだけ甘えて母の後を追った。 祖母も逝き、叔父叔母も逝き、我が家の仏壇は遺影だけになる。 今では、笑える話。 ハギノが亡くなったとき、枕元から大金が消えた。 **は僕が金を借りて葬式を執り行ったことを悔しがった。 所詮こんなものさ。 死に近き母に添い寝のしんしんと遠田の蛙天に聞こゆる 正に命が消える瞬間の心臓の音聞いたことありますか? 昭和51年2月22日の深夜でした。 天命わずか48年。本当に大好きなお母さんでした。 学生時代にMITUさんを妊娠させたときは、水神様の裏で力一杯なぐられました。 そして、MITUさんとの間に、48年4月長女・*が産まれました。 ハギノは、里帰りの時、長女*を部落中を連れ歩いていました。 一気に虫歯をこしらえた頃でした。 その*は、葬式の時、庭の池に入って寒空の中、鯉を捕まえて遊んでいました。 今でも、田舎に帰ると【母ちゃんの葬式の時、池で遊んでいた子は今、何歳や?】と言われます。 私とMITUさんの宝物。と言うよりMITUの分身。花の独身。看護師の*さんです。 誰かもらい手がないのかいな。行かず後家になりそう。 ハギノさんは、それはそれは、花が好きで、庭中四季折々我が家は花畑でした。 実家のすぐ上が墓地ですので、みなさんがよく立ち寄られたと言うことは、 後で聞いた話です。 井川に用意された水桶と自分で花を切って皆さんがお墓参りなさったそうです。 【注】:井川・いがわ・・・井戸のこと お葬式の参列で解りました。田舎始まって以来の参列者でした。 さて、しばらくは同胞のことです・・・・ ******************************* はらから その2 ******************************* 鹿児島の片田舎の、電気も水道も勿論電話・ガスも無い山の麓にハギノは七福神の弁財天(長女)として、生誕。 昭和2年2月2日。 父一(はじめ)殿は、引き連れた牛だけが我が家に帰り、己は自宅前で汽車に轢死。 勿論吾輩は祖父殿の顔など見たこと無い。 吾輩が学生時代、村中を捜して御田植え祭の集合写真を確保した。 そして、拡大焼き増ししたのが、一(はじめ)殿の写真。 22年目にして祖父の顔を観る。 勿論戦前の話。 ここからが悲劇の始まり。祖母トエ・母ハギノの 下に5人(+1)の男がいました。 七福神だから、男は6人とちゃうかな????? ものすごい差別と偏見の毎日を過ごしたと言うより食べる事で何も考えられなかったとハギノは言う。 西瓜・瓜がなくなれば、青年団小屋で5人の弟が折檻。 着るもの無く荒縄を締めていたと母はいう。 涙ながらの引き取り。 伯父たちもお腹をすかせていたのだろう。 大阪で通り魔に遭った4番目の叔父が言うてた。 子どもが独立するまでは親は生き抜く義務があると。 因果は駆けめぐる。 七福神の下から二人目が23年前のクリスマスの晩、通り魔に刺し殺された。 親爺と守口署に日参したが、事件は迷宮入り。 そして、幼い3人の従姉妹たちは半年後夏休み前、母にも見放された。 親爺を早く亡くすと、弱く見られる典型。 働き者で、どう考えても自ら子どもを残して逝くような叔母では無かった。 一体、何があったのだろう。 いろいろ取りざたされたが、決定的な証拠が無かった。 私の大好きだった伯父夫婦。 下の妹が産まれたときおしめをよく洗濯してくれたそうである。 腕の良い自動車整備工の家族が半年で崩壊した。 母ハギノ没後2年10ヶ月後のことである。 ではまた。 ******************************* はらから その3 ******************************* 今回(2002.2)の法事で明らかになった事。 芸者の祖母お**さんは、瀬戸西家の長女。 **を連れて、**本家の長男藤吉と恋におちる。 **本家の財産の大きさを聞いて驚く。 見渡す限りは、全て在所。 藤吉はその全てを放棄。次男時次に譲る。 当時の民法の関係で暫くは、**姓に改正できないため 吾輩も瀬戸西姓が続く。 吾輩の誤解は50数年続いていたわけだ。 と言うことは、吾輩の父系ルーツX氏が祖父として存在する。 しかし、その存在は叔母も知らなかった。 確か、吾輩が8歳の頃尋ねて来られたらしいが、 お袋が追い返した記憶がある。 勿論、顔は記憶に残っていない。 戸籍上は、一度は、姉・弟の関係であった叔母の証言。 戦後のどさくさに紛れた、わからん事多すぎる。 親爺殿がバツイチだったとは? 一体相手はどなただろう? ハギノさんの心中や如何に? わからん! その取り持ちが、叔母の亭主というのだから・・・ わからんことだらけである・・・・ 親爺と太助どん!薩摩のこれぞ!焼酎(しょちゅ)呑んごろ! ![]() ![]() 嗚呼!ぽんゆう武夫と太助! 祇園精舎で呑んでくれ! 吾輩も直に行きますから待ってくださいね。 ******************************* はらから その4 ******************************* お袋の母、私の祖母は私の生誕時に第7子を出産。 所謂恥かきっ子という奴を生んだ訳だが、 叔父より甥の方が三ヶ月上と言う可笑しな話だ。 昔はさもありなん。 娘と二人で6人の男の子を養うのは並大抵の事ではない。 死んだ叔父も含めて、私の母方の6人の叔父の母に対する 恩情は並大抵では無かった。 村人からは差別され、悪戯をして青年団にお仕置きされている 兄弟を泣きながら公民館まで引き取りに行ったそうだ。 腰に荒縄を巻きつけて暮らしていたそうだ。 貧乏なんて口では表現できない酷い物だったのはわかる。 私らの子どもの頃は裸足で暮らしていたのだから。 電気も水道も無いそこで私は生まれたのだ。 床は竹を敷いて莚を敷いただけの床であった。 勿論竈で飯を炊くのである。 水は川まで汲みに行く。 祖母が流れ者と一夜を共にした訳も解らなくはない。 どうしようもないぐらいに貧しかったのだ。 引き取って双子として育てようと母は考えた事も在ったらしい。 そうしなかったのは祖母の母性愛が 余程、強かったのだろうと想像できる。 ******************************* はらから その5 ******************************* 今、彼は大工の棟梁として田舎の顔役であるが、 他の叔父らと父親が違う事を子らに指摘され 不幸な生い立ちを説明できないで、 呑んだ時に私と泣き合っている。 私ら二人は本当の双子以上の結びつきである。 遊びや生活力にかけては私の師匠である。 クリスマス前には天然の梅蔓もどきで編んだリースが届く。 ![]() 天然の鮎とり、目白、うぐいすなど禁止になる前は動物園以上に 家で飼育していた。 数十万するえびねも裏庭に無造作に咲いている。 紺屋の白袴で、我が家はこつこつと仕事の合間に十年かけて 建築基準法すれすれの木造三階建て、小さい子は運動会が できる程の檜と杉の匂いが満ちている豪邸である。 二階は濡れ縁が取り巻き、焼肉パーテーが何人でもできる広さ。 一回は機械だらけの作業場。 私にはあこがれの存在である。 彼に家を造ってもらうのが私の夢だったが妹の不始末で それも叶わぬ夢となった。 何時でも帰って来いと言ってくれるが、切れない双子だ。 四十前で行商の流れ者との不倫の子を産んだとは 数年前に初めて二番目の叔父から聞いた話だ。 聞かなかったらみんな墓場まで持っていこうとしたわけだ。 その祖母は長女で一人の娘、私の母を僅か48歳で失い、 自分は7人中3人の子より長生きして90歳を超えて往生した。 母が死んだ骨納めの時に懐に骨を忍ばせて 自分の家の墓に入れたが夢見が悪いと返しに来た事があった。 焼き場は、まだ実家の直ぐ近くの昔からの古い谷底の処で 私が子どもの頃は本当に怖い所だった。 残りの骨はセメントで固めた穴の中にほかすのだが 雨の日はよく燐が燃えていた。 所謂人魂と言う奴だ。 だからめったなことでは焼き場には近づかなかった。 当時の上司がわざわざ関西から葬儀に参列してくれたが 彼が最も驚いたのは最後のお別れをして、 管理人が火を点けると轟々とした ものすごい勢いで燃える棺桶が焼き口の裏から覗けることだった。 最近の機械仕掛けの奴は最後のお別れをしたら二度と見られない。 骨上げの姿まで待たねばならない。 私の田舎の火葬場も十数年前に丘の高い所に移転して 最新式になった。 親爺はそこで焼かれた。 その他の故人はみな歩いていける昔からの 近くの焼き場だった。 ******************************* はらから その6 ******************************* 皆さんは人間が焼かれる臭いを嗅いだ事がおありかな。 黒から白に変る煙と独特の臭いに此の世の無常を感じる。 祖母は母のまだ温かい骨を骨壷に入れながらぼりぼりと食べていた。 焼き場の管理員は実に骨全体を観ながら この故人は何で死んだかを推察していた。 骨の焼かれ方でわかるというわけだ。 たしかに痛み止めのモルヒネの青い筋後が 脊椎に沿ってくっきりと残っていた。 床ずれの後。 何時もどちら向きに寝ていたかも指摘する。 そして何処が病気で悪かったかも当てていた。 親族一同びっくり。 もっと驚く事は直接の死因は病気ではないと推察した。 私と父と医者で臨終の前に安楽死の確認をしたのだが、 その管理員は直接の死因が脳卒中だと当てた。 所謂頭蓋骨の裏が黒くなっているのだ。 他の部分は綺麗な白色なのに血液の部分が黒色だ。 父は風習で焼き場に行けないので、 真相を知っている私だけが びくりとしたのを今でも忘れない。 昔は管理員が金歯や貴金属を盗むなんて 誤解されていたがとんでも無い話だ。 そこらへんの医者より解剖学的な話がうまい。 関西の上司も驚いていた。 勿論、焼酎1本を彼に差し入れしてきたのは風習として 残っている。 咽喉仏を中心にして、つま先から頭のてっぺんまでが 骨壷の中に綺麗に納まり、あたかも御仏が骨壷の中に 正座しておわすように納骨するのだ。 ******************************* はらから その7 ******************************* 残りは亡骸として大自然にお帰りになられると説明するが 要するに塵なのだ。 知り合いの野球をしていた頃の支援者であった葬儀屋の 社長がいつも言っていた。 人間は塵なのだと。 生前偉そうにしている奴も貧しい奴も値段に差は無い 葬儀にまで見栄を張りあたかも差があるように錯覚しているが 人間は死んだらみなクズなのだと。 実にその道の人間で無いと言えない哲学である。 その塵クズを後生大事に未来永劫御祀りする。 亡き先輩の実家は松橋のお寺であるが村の納骨堂を見せて貰った。 数百年先までの骨まで骨壷に納めてあった。 土葬であったのを全て掘り起こして骨壷に納めて移転したそうだ。 だからか知らんが、 GHQは極東軍事裁判の戦犯の遺体は全て風葬にしたと聞いた。 要するに遺骨さえ祀られる事を恐れたのである。 日本人の末恐ろしさを感じる。 アメリカ人をそこまで恐れさせる、骨である。 納骨堂の中はひんやりとしている。 田舎で地震があり納骨堂の骨壷が全て倒れたと妹から 知らせがあったとき、私は座り込んで骨を納めなおした。 ついでに中の玉砂利も掃除し骨壷も磨いた。 もう法事もしないが墓参りぐらいはしてくれているのだろうか。 口ばかりだと妹は言っていたが・・・ そうだろう。 三十数年、私一人に二年おきの法事を全て任せたんだから。 私の人生は何だったのだろう。 墓だけが残った訳だ。 長男も東京に居着く事だろうし、無縁さんになることは見えている。 寂しい実にさびしい話である。 |
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